![]() |
![]() |
||
|---|---|---|---|
<熊杏会の皆様> 戦前、熊本医科大学長であられた明石真隆教授の御子孫または御親戚の方にお礼を申し上げたく、失礼を省みず筆をとりました。 父、韓石泉は台湾総督府医学校を卒業後(大正7年)日本赤十字社台湾支部医院を経て台南病院に就職(大正8年〜大正11年)し、当時院長であられた明石真隆先生のご指導を受けました。その間、明石院長の特別なご配慮で「医務助手」としては前例のない「診察権」を与えられました。 長男 良哲が肺炎で夭折後、父はもっと勉強をする必要を感じ、毎日外来患者100名を超える韓内科医院を叔父(父の弟)韓石福に托し、昭和10年明石真隆先生を慕って、熊本医科大学明石内科研究室に入りました。明石真隆教授退官後は生化学に転ずることを余儀なくされましたが、加藤七三、小宮悦造両教授ご指導の下で『脾臓燐脂質の研究』論文を完成し、昭和15年医学博士を授与されました。 父は当時、熊本医科大学でも「疲れを知らぬ人」との評判になるほど研究に没頭し、昭和14年多量の胃出血で人事不肖になりましたが、明石内科医院に二ヶ月入院し(当時明石真隆教授は既に熊本医科大学を退官)明石先生の熱心な御介護により研究に復帰できました。 以上の様に、父は再三明石真隆教授の御恩を賜りました。私共兄弟にも生前幾度も感謝の気持ちを語っておりました。後日父が良い医者且つ人格者として台湾の人々から尊敬される様になったのも、偏に明石真隆教授の薫陶の賜物と存じます。 尚、三男 良誠は台湾大学医学院(医学部)卒業後同大学の外科に勤務していましたが、父が突然脳溢血で逝った時(1963年)韓内科医院を継ぎました。その後開業医としても研究を続け、千葉大学横川教授の御指導で1981年医学博士を授与されました。その後も Visiting Research Fellow として University of Hawaii(1990年)と Harvard University(1993年)で研究を続けました。彼は地方開業医としては台湾医学史上前例の無い国立台湾大学(2001年)及び 国立成功大学(2005年)の臨床医学教授に任命されました。 四男 良俊も台湾大学牙科(歯科)卒業後、日本大学で口腔外科の医学博士を取得し、東京医科歯科大学で二年勤めた後、台湾大学に戻りました。彼は台湾における檳榔( betel nuts)の弊害を無くす事に生涯を捧げ 台湾行政院衛生署衛生章(1995年) 牙医師公会 全国聯合会 特殊貢獻獎(2000年) 教育部(日本の文部科学省に当たる)服務褒章(2002年) 国家医療奉献章(2002年)等 を授与され遠く米国のLos Angeles Times でも彼の貢献振りが何回かニュースになりました。2002年退官後も行政院衛生署口腔医学委員会 主任委員等の要職で活躍しています。父とこの二人の弟は今台湾では衆知の良い医者の例として度々テレビ、新聞、雑誌等で報道されています。 五男 良博は米国New Mexico州、七男 良憲はHawaii で各々小児科医、内科医として活躍中です。六男 良平は鹿児島大学で産婦人科を専攻していましたが1998年肺癌で他界しました。 父が熊本留学中、私共は新屋敷町に住んでいて次男の私はミドリ幼稚園及び、白川小学校に通いました。兄弟の中で私だけ医者にならず、台湾大学数学系(数学科)卒業後、米国に留学しStanford UniversityでPh.D.を取り1999年に引退してCaliforniaに移住しました。引退前は客員研究員または客員教授として東京大学、上智大学、国際基督教大学、台湾大学、University of Washington(Seattle)等に席を置いたことがあります。1998年には北米数学会(American Mathematical Society)のCertificate Public Serviceを頂く光栄に浴しました。 この様に、父及び私達兄弟が社会に多少とも貢献できたとすれば、それは父を通して明石真隆先生の御指導と御庇護を頂いたお蔭だと信じています。 それ故、明石先生の御子孫または御親戚の方々に私共兄弟は感謝の意をお伝えしたいと願っています。 御不都合でなければ何卒彼等の御住所をお知らせ願います。 韓 良信
2006年3月14日 |
|||